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最高裁判所第三小法廷 昭和60年(行ツ)195号 判決

奈良市西登美ケ丘四丁目一番三二号

上告人

大石良三

右訴訟代理人弁護士

田浦清

奈良市登大路町八一番地

被上告人

奈良税務署長

大西昭男

右指定代理人

高村一之

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五九年(行コ)第二〇号所得税更正処分取消等請求事件について、同裁判所が昭和六〇年七月五日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人田浦清の上告理由について

本件求償権が所得税法六四条二項にいう行使不能の状態になつたということはできないとして、本件課税処分を適法とした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、九八条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡満彦 裁判官 長島敦 裁判官 坂上壽夫)

(昭和六〇年(行ツ)第一九五号 上告人 大石良三)

上告人代理人田浦清の上告理由

原判決は、法令の解釈適用を誤つた違法があり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決は、所得税法六四条二項にいう「求償権の行使をすることができないこととなつたとき」とは、求償権行使の相手方である主債務者が倒産して事業を廃止してしまつたり、事業回復の目処がたたず破産もしくは私的整理に委ねざるを得ない場合はもちろんのこと、主債務者の債務超過の状態が相当期間継続し、衰微した事業を再開する見通しがないこと、その他これに準ずる事情が生じ、求償権の行使、即ち債権の回収の見込みのないことが確実となつた場合をいうものと解すべきであるとした上で、原判決の理由の欄の、三に記載の事実認定をなし、右認定事実によれば、本件求償権を放棄した昭和五三年三月一三日当時は、大石天狗堂の和議認可決定の直後であつて、同社は和議債務の元本金額の支払猶予を得て事業再建の可能性があつたとするのが相当であり、したがつて上告人の本件求償権の放棄は、主たる債務者の事業再建の見通しがないとき、その他これに準ずる事情があるときになされたものではないから、所得税法六四条二項の要件を満たさない旨判示されておられる。

二、大石天狗堂は、原判決認定のとおり再建を求めて、和議開始の申立をなし、京都地方裁判所の和議認可決定を得たのであるから、事業再建の可能性はあつたのは当然であろう。しかし、事業再建の可能性のあることと求償権行使が可能であることとは別問題である。大石天狗堂は、昭和五三年三月一三日当時、決算報告書上はともかくとして実質的には債務超過の状態であつたし、その後も実質的には債務超過の状態が相当期間継続し、本件不動産売却代金のうち、本件求償権放棄をした残額につき貸付金処理をした債務についてさえ、いまだ完済できていないのであるから、かりに本件求償権を放棄しなかつたとしても、その弁済期が原審終結時においてさえも何時到来するか予測ができない状態である。まして、本件求償権放棄時である昭和五三年三月一三日当時においては、その求償権行使の可能性など全く予想できない状態であつたのである。

そうだとすれば、本件求償権行使は不可能な状態であつたとして所得税法六四条二項が適用されるべきである。

三、所得税法六四条二項の立法趣旨は、所得税の本質と正義公平の原理から、実質上所得のない保証債務者が、その責任を果し易いように税負担の障害を取り除くことにあると考えられる。そうだとすれば、保証債務者において、ただ課税を免れる場合でないかぎり、本条の解釈適用を弾力的になすべきである。それが結果的には本条の立法趣旨に合致し、保証債務者の責任を果し易くなり、企業の経営者等が個人保証をしている場合、倒産の危機にある企業を再建し、その従業員、債権者らに利益をもたらし、社会経済的損失を少なくすることになるのである。

かかる観点からするならば、所得税法六四条二項の「求償権の行使ができないこととなつたとき」とは、原判決の判示される場合のみならず、主たる債務者の事業の再建の見通しがある場合でも、相当期間債務超過が継続すると予想され、現況において通常予測し得る将来のある一定期間(およそ五年ぐらいが妥当と考えられるが)を想定し、その期間に求償権行使が不可能と認められるときも、これに含めるべきである。

四、ところが、原判決は「事業再建の見通しがあれば債務超過であつても一般に利益の中から求償権に対する支払がなされる可能性があるが、仮に事業再建の見通しがあるのに今後一定期間(五年)内に求償権を回収できないと認められる場合でも、合理的経済人がその後の回収に期待せずに現在直ちにその求償権を放棄するに至るのが通例であるとは考えられない」と判示して、上告人の前項の主張を排斥されている。

しかしながら、企業の破産原因である債務超過がある場合、理論的には返済が可能であるとしても、一番最後にしかなすべきでないと考えられる企業の経営者の個人保証にもとづく求償権の支払は、債務超過を解消してからなすと考えるのが通例であるし、貨幣価値の下落、金利等を考慮に入れると、五年先、一〇年先にあるいは可能であるかもしれない求償権の返済(それも一時ではなく長期にわたる返済)を期待するよりも、現実に支払わなければならない所得税の負担を考慮した場合、何人も、自己の財産権を放棄して、節税を考えるのが通例であり、これを批判することはできないであろう。

上告人は、結局、前述した事情のもとに自己の財産権を放棄して、すなわち本件求償権を放棄したのである。そして上告人には、本件不動産を処分してなんらの実質的な所得がなかつたのである。

しかるに、原判決は、結果的には、上告人に対し実質的にはなんら所得はないにもかかわらず、それがあつたものとして、被上告人の課税処分を認容したものであつて、正義・公平の原理に反するものである。

五、よつて、原判決は、法令の解釈適用を誤り、かつ経験的に違反した違法があり、原判決は違法を免れないと確信する次第である。

以上

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